超短編小説and雑文・morimorispyのブログ

ちょっと、短編小説らしきものを書いてます。日々の雑文も書いてます。

議会

しばらく前、オリバーストーン監督が、日本はアメリカの衛星国にすぎない。だから、日本の平和国家の自らにおける称揚自体も、偽善的なまやかしに過ぎない。と言っていた。

その通りだというしかない。だが、偽善やまやかしは、この国の戦後の議会制民主主義を国民が選択したのなら、選択はしていないものの、支持したのであれば、やはり、大筋で、まやかしや偽善がそこに見受けられるとしても、平和国家であった。大筋では。

と言えるのではなかろうか。

議会制とは一つに政治理念の純粋性と手を切ることではないだろうか。と思う。議会外の左右の純粋な政治理念の追及は、その段階であきらめなければならなかったというほかないのではないだろうか。市民社会の広がりは、確かに純粋な理想や理念を持つ人にとっては、ネガティヴな産物でしかない。さらには、まさに否定性(ネガティヴィティ)の行き場が議会そのものであることの証しかもしれない。議会の不純性は我々が見慣れた光景だ。前のブログで国会前で学生が集会を開くのを、私は、批判したが、その言葉を撤回するほかない。純粋性もまた、議会を動かすための戦略・戦術と言えるのではないか。その意見に賛成はしなくても、やり方は正しいと思う。

原発をどうするか、とか、安保法制をどうするかとか、この国の未来を決める問題が山積しているが、

原発には反対、アメリカの支持の下での安保法制には賛成、という私の選択はちょっと変なのかもしれない。が、必死に考えた結果ではある。

議会から遠ざかる純粋な理念こそ、危険なのだ。と、悪の定義は難しいが、純粋な悪とは、オウム事件がそうであるような否定性ではないか。