超短編小説and雑文・morimorispyのブログ

ちょっと、短編小説らしきものを書いてます。日々の雑文も書いてます。

半生

昔、学生の頃、東京で、私は、あるインカレサークルに入っていた。

2流大学だった私はサークルにエリート大学の学生がが何人かいると言われて、ビビっていたのだが、意外と話すことは普通だったことに私は安心した。当たり前だが。

徐々に、文学や思想にかぶれていった私はそういった人々がたむろする場所に行くようになった。こういうと不遜だが、文学や思想に本来、向いていないエリート大学生もいた。そういうことを経ると、学歴ではなく、特に文学、そして特に「詩」は大学名ではなく、何か、才能としか言いようのないものだということが解った。

やたら自分はいい大学だと名乗る、自慢する人もいたが、そういった人に限って、芳しい文学へのコメントは聞かれなかった。文学好きを気取ってはいた。

ある日、ジュリア・クリスティヴァというその筋では有名な言語学者の「サムライたち」という翻訳小説を借りてみたが、全く面白くないというより、酷い小説だった。私はその言語学者の理論、特に詩人についての理論を買っていたので、なぜこういうことが起きるのかというと分からない、そこから、徐々に芽生えていた詩についての不満、が出てきて、やっぱり、徐々に映画や小説へと興味は移行した。

私が思ったのは、学者が頭がいい。詩人がいい詩を書く。というのは、その分野に限ってのことであって、詩人にも普通の人はいるし、頭がいい学者もその分野以上のことはさして詳しくないということもよくあることだ。

大思想家も大小説家も大詩人もいない時代だが、昔の小説や詩を読めばいいと思う。そこに自分を発見できるはずだ。