超短編小説and雑文・morimorispyのブログ

ちょっと、短編小説らしきものを書いてます。日々の雑文も書いてます。

批評と亜インテリ

亜インテリというのは私の知人が良く使う言葉で、頭の悪いしょうもないインテリ

ということだろう。芸術、これは漫画やアニメを含む。批評では結論は大したことはないのだが、対立とか喧嘩とかあるけれど、文学賞を取るとか大学の先生にならないと、お話にならなくて、いわば、喧嘩とか批判する前に「頭悪いとだめ」という大きな壁があり、誰々を批判したいとかとなれば、やはり、賞を取ったり、大学で論文を書かないと、ほとんどの場合、批判する資格も与えられない。

要は、昔ある哲学者の言った「選ばれた者たちの戦い」でなければならない、ある程度は。そこからはみ出て、未だ、興味を持つというか自意識的にはインテリ、というのが、結構、きつくて、論壇や思想、文学雑誌のウオッチャーになるしかない。

やはり、高尚な位階制を前提とした闘いであって、だから、どうだということではなくて、文学および批評の政治闘争の前に、ある程度、というか、かなり頭がよくないと、その戦いに入れない。という厳しい世界だ。最近、結構、有名なお笑い芸人が芥川賞を取ったと聞いたので、本屋に行って文学雑誌を買おうと思ったが売り切れていた。ので、お目当てのではなく、別な文芸雑誌の何冊かに目を通したら、昔と同じことを問題意識が高い意識的な批評は論じていた。

つまりは、文芸評論とは「この時代は昔の反復なのか・この時代に文学の新しさはあるのか」という昔からの純文学の問いをやはり、反復している。

私も、亜インテリかもしれないが、思わず「まだやってんのか、まあ、いいや、」という気分になった。

もしかしたら、「反復なのか、新しさなのか」というのはずっと昔からの人類の問題かもしれない。その縮小再生産の場が文学ということかも。