超短編小説and雑文・morimorispyのブログ

ちょっと、短編小説らしきものを書いてます。日々の雑文も書いてます。

才能という問題、昨日、ブレッソンの「やさしい女」という映画を見て感じたこと。

「才能」とは扱いが難しい言葉だ。才能とは、後からの成功でしか見いだされない。「賞」に受かること、「批評家」に褒められること、「編集者」に見いだされること、

「売れる」こと。ざっと、これだけ挙げたが、あいつは才能がある、と言っても、現実に今あげたような結果を残さなければ、才能があるとは言えない。

死後に名声が高まるというのはもあるが、それは芸術家の今時の戦略でしかない。

うずもれた芸術や芸術家も多いだろうが、それらは一様にどんなに素晴らしい作品でも、市場にとって,

認められなければ無意味だ。しかし、市場に媚びただけの芸術でもダメだ。市場の要求にこたえるだけではだめなのだ。

反ー市場的な作品も、確かに市場には存在するから。

というのも、今、「やさしい女」のような映画を作る作り手がいない。この厳しい映画を見てそう思った。

1969年が製作年の、この映画は、圧倒的な心理的、神学的描写がすさまじかった。

あんなに徹底して厳粛な映画は久しぶりに見たという感じ。

大作ではないが、すさまじく厳粛なこの映画は、1969年ながら、まさに現代映画の先端を行っている映画。これが今年見た映画の中でベストワンだ。

映画は衰えている。いつも思うのだが、昔の監督の映画の方が現代の映画のすごい監督の映画より、例えばブレッソンの初見のこの映画の方が凄いし、現代的だ。

金と女、これ以上に古典的で現代的な映画もない。

昔、東京で「ラルジャン」を見て圧倒されたが、この映画にも圧倒された。

そんな映画を上映してくれた私の故郷も捨てたものではない。